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- 2026/06/18(木) 06:26:22|
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クレハはナチュラルさんに連れられて菜園を訪れた。菜園は少女達の暮らす館から少し離れた日当たりのいい場所にある。四辺を生け垣で囲われた正方形の土地。
「あ、トマト!」
クレハは赤い果実を指でつついた。
午後の柔らかな陽の光にクレハの蜂蜜色の髪がゆれている。いつもは気になる青臭い植物の香りも、風に拭き流されていくようだ。
「これは摘まないの?」
「種を取らないといけないからね。残しておかないと」
トマトの実を指でつつきながらクレハは首を傾げる。
「その実からは種を取って、また蒔くのよ」
ナチュラルさんの説明が理解できないらしくクレハは首を傾げる。
「ナチュラルさんはなぜここを作ったの?」
初めて観る菜園に次々に疑問が湧いてくるらしく、クレハはトマトの葉を陽に透かしてみたり、軟らかな土の手のひらに握ってみたりと落ち着きがない。
「なぜ?」
ナチュラルさんはそんなこと考えたことがなかった。
ただ、指輪島には菜園がなかった。もしも、自分だけの菜園があったら素敵だなと思って、作った。それだけの話だ。
「なんとなく、なのかな」
「なんとなく……」
この島では衣食に困ることはない。クレハも指輪島にあらわれて数日のうちにそのことは納得したようだった。
「……見えざる住人が、いつか居なくなるかも知れないって、考えてるの?」
見えざる住人。少女達がなにもしなくても生きていける根拠。いつでも決まった時間に温かい食事が用意され、ほとんどの時間を自室で過ごすヒビキの部屋ですら、席を外したわずかな時間のうちに完璧に掃除される。
貴族のような生活だと思う。ナチュラルさんはできる限り自分の身の回りのことは自分でやるように心がけてはいる。けれども、それでも見えざる住人が居なくなってしまったとすればひと月も生きていけないだろう。
「どうしてそんな風に思うの?」
ナチュラルさんは、地面にしゃがみ込んでミミズを見つめているクレハの髪を撫でてやった。指輪島に『あらわれた』少女は、不安定になる。過去を持たず突然こんな場所に放り出されるのだ。
どんなにか心細いだろうか。
ナチュラルさんがこの指輪島に現れたのは、もうずいぶん昔のことだ。その当時のことは、もうすでに本の中の物語じみていて、心細かったという事実はどこか他人事のように感じられる。
母親というのはこんな気持ちで子供に触れるのだろうか。
「……ナチュラルさん。わたしも、はじめようと思う」
クレハは立ち上がって、自分の頭に載せられたナチュラルさんの手を両手に握りしめた。
「ねえ、私はナチュラルさんを助けるためにここに来たのかも知れない」
ナチュラルさんの硬い手のひらを、いまはまだ白くか細い指が包み込む。
「クレハ、あなたはまだこの島を知らないわ」
「苦しんでいる人がいるのに、放っておくことなんかできない……わたしたちは家族でしょう?」
それは館から菜園までの短い道の途中で、ナチュラルさんがクレハに語ってきかせたことだ。シロを初めとして、少女達全員にこの話はしてある。
なにがあってもわたしはあなた達を見捨てたりしない、と。
「ヨウもあなたのことを心配していた」
クレハは握りしめていたナチュラルさんの手を放すと、背中を向けて呟いた。
「どうして?」
「部屋で目をさましたときに、ヨウと話したの。あなたがこの菜園をなんでやっているのだろう、という話」
「……そう」
ナチュラルさんは、自分の顔を両手で撫でまわしてみた。いま自分の抱いている感情がわからない。胸がざわめく。嬉しいのか、恐ろしいのか。自分の浮かべている表情は、一体どんなものなのだろう。
「ナチュラルさん。わたしこの島のことをもっと知らなくちゃいけない!」
クレハはいつの間にか菜園の外に立って、ナチュラルさんに向かって手を振っていた。
午後の光の中にゆれる彼女は、陽炎のようだった。
『少女達』
鉄製のアンクレットを両足にはめた少女達。
アンクレットが無ければ風に飛ばされてしまうほどに、体重が軽い。らしい。
ナチュラルさんに言わせれば『未来以外のなにももっていないから』らしい。
たぶんこれは冗談のたぐい。
指輪島(ゆびわじま)
空から俯瞰すると、ちょうど指輪のような形をした島。どこにあるのかは不明。
また、島に鳥はいるが外部から渡り鳥がやってくることはない。
島の中心である湖は、完全に淡水で透明度が非常に高い。
かなりの大きさがあり、森もあれば丘もある。
※指輪島の少女達
(初めの少女)
居たはずだ。しかし、彼女は自分の居た証拠を残そうとはしなかった。
(足輪のいらなくなった少女達)
幾人かの少女達は指輪島から旅立っていった。
ナチュラルさん
島の少女たちのリーダー格。
島の菜園の主。植物の育て方に明るいことからナチュラルさんと呼ばれる。
菜園では、最近トマトがもぎ時。
シロ
ワレタダタルヲシル
髪をとかすという習慣がない。
徘徊癖がある。叫ぶ岩の声がするなどともいう。
指輪島に『あらわれた』少女を目覚めさせ名前を付けるという役目をおう。
(足輪のいらなくなった少女達)
幾人かの少女達は指輪島から旅立っていった。
ヨウ
いつも機嫌良くなにかのメロディーをハミングしている。
元気のいい少女。
そばかすのある顔をくしゃくしゃにしていつも笑っている。
少女達のムードメーカー
ヒビキ
黒髪の美しい少女。
虚弱体質のため、一日の大半を館の中ですごす。
そんな暮らしに退屈しているが、疲れるのでやっぱり寝ている。
野菜が嫌い。身体が弱いせいもあるが、背が低い。
お爺さん風車の最上部には一度だけ登ったことがある。最後のほうはナチュラルさんに背負われていた。お爺さん風車の階段は五百段以上あるに違いないと思いこんでいる。(実際は九十二段)
クレハ
背中に深紅の傷跡がある少女。
島の浜辺に流れ着いたクレハをナチュラルさんが見つけ、介抱した。
少女達の中で例外的に島の外の記憶をおぼろげながらももっている。
自分一人で目覚め、自らクレハと名乗った。
※指輪島の名所
おじいさん風車
島の中央部『館』の庭にある巨大な風車。
九十二段の階段を上ってようやく頂上につける巨大な風車塔。
最上階に錆びついた青銅製の風見鶏が設置してあるために『風見の塔』と呼ばれることもある。
?叫ぶ岩
夜になると星に向かって叫ぶ(シロ談)
岩なのに指輪島をあちこち移動しているらしい。
空に階段を探しているらしい。
?(島の見えない住人)
ナチュラルさんの仮説。
指輪島には目には見えない人間がいる。館が勝手に手入れされて、料理すらできているのは、この目には見えない住人がいるから。
館
少女達の暮らすところ。地上三階地下一階。
見えない住人が居るらしく、物置として使っている部屋ですら埃ひとつ落ちていない。
クレハがあらわれるのを予期したかのように、あたらしいベッドとシーツが用意されていた。
街→1話の時点では登場していない
館を時計の十二時の位置とすれば、二時のあたりにある無人の街。無人だが、見えない住人が存在しているらしく店に品が出たり、学校ではチョークがひとりでに持ち上がって黒板に文字を書いたりする。
少女達はナチュラルさんが育てた野菜や、自分たちの作った様々なものを物々交換のようにして飴や櫛をもらってくることがある。
少女達が街で暮らさないのは、街にある小さな家々は、見えない住人の為だけであるような気がしたから。
ドアの向こうから二人分の声が漏れ聞こえてくる。
二人分とはいっても、片方が一方的に話し続け、もう一人は時折相づちを打ったり小さな笑い声を上げたりしているだけだ。
菜園に寄ってから、海辺に『あらわれた』という少女の様子を見に来たのだけれど、まさか意識を取り戻しているとは思っていなかった。
いままでの例からいって、シロが呼びかけなければ『あらわれた』少女が覚醒することはないはずなのに。
ドアの向こうにいるのはヨウと、浜辺に『あらわれた』少女だろう。ドア越しでも、この島に暮らす少女の声ならすべて聞き分けられる。
なにかを熱心に喋り続けているのがヨウだ。指輪島ではなにもしなくても生きていける。逆に言えばなにもすることがないということだ。
そんな暮らしなのに、ヨウはとてもたのしげに話している。
「入っていいかしら」
控えめなノックではヨウの声で部屋の中では聞こえないと思っていたが、予想に反してすぐに返答が来た。
「どうぞ」
聞いたことのない声だった。静かな、湖の底の奔流のような声だと思った。
「はじめまして」
何度も練習した台詞のような流暢さで、少女はナチュラルさんに微笑みかけた。
「わたしはクレハといいます。どうぞよろしく」
波と陽の光に長い間晒されたからだろうか、肌も髪の毛も蜂蜜色に輝いている。
ただ、真っ向からナチュラルさんを見つめる瞳だけが、指輪島の中心にある湖を思わせる青だ。
「よろしく。わたしは――みんなからはナチュラルさんと呼ばれているわ。あなたもそう呼んで」
クレハはナチュラルさんの言葉に頷いて眼を細めた。
「シロはどこにいったの?」
窓辺に経ってカーテンにくるまって遊んでいるヨウに尋ねてみる。部屋の間取りも調度品もヒビキの部屋と寸分違わず同じものだ。クレハがこの部屋を長く使っているうちに少しずつ変わっていくのだろう。
「んー来てない」
「クレハは、いつ起きたの?」
いつもなら『あらわれた』少女を起こすのはシロの役目だったのだ。
「なんかいつの間にか起きてたみたいだよ。水あげて仲良くなった」
一体どういうことなのだなろう。ナチュラルさんはいままでこの島にはルールがあり、『あらわれた』少女を目覚めさせるのは、シロの役目なのだと思いこんでいた。
考え込むときの癖で片手を額にやろうとしたナチュラルさんは自分が片手にトマトの入った籠を抱えていることを思いだした。
「おぉ、トマト!」
カーテンの蓑虫とかしていたヨウが目を輝かせる。ヨウはナチュラルさんの菜園でとれたもの、特にトマトは大のお気に入りなのだ。館の見えざる使用人がどこからともなく盛ってくる料理と違って、必ずしもおいしいわけではないのがいいらしい。
「ね、ね。もらってもいい?」
「え――えぇ」
いつものことだけれど、乗り気になったときのヨウの勢いには思わず身を退いてしまう。
「クレハもどーぞ」
本人の返事も待たずにヨウはよく熟れたトマトを選んでクレハに押しつけた。クレハは目を丸くして真っ赤に熟したトマトを見つめた。
『あらわれた』少女は、暮らしていく上で必要な知識を持っていないことが多い。おそらく、トマトが食べられるものであるということを知らないのだろう。
ヨウはクレハに見本を見せるようにトマトにかぶりついた。ナチュラルさんとしてはそれがトマトの正式な食べ方だと思って欲しくないのだけれど。
クレハもおそるおそるといった感じでトマトをかじった。あまりに小さくかじったので、薄皮しか食べられなかったようだ。こんなものなのかと不思議そうな顔をしつつ、二口目はもう少し大胆にかじる。
「すっぱーい! ようやくだね」
そう叫んだのは、誰の声だったのだろう。
1-3へ ▼目次▼ 1-4へ
この島ではなにもしなくても生きていける。
真っ白なシーツの上に身を横たえたヒビキは、天井を眺めながらそんなことを考える。環境に生かされているだけなら家畜と同じだ。
ヒビキは本物の家畜を目にしたことはないけれど。
いうまでもなく、この島には少女達しかいない。時折気まぐれな渡り鳥が島の上空を横切ることがあっても、彼らがここに降り立つことはない。危険な敵のいないこの島は、渡り鳥にとっては絶好の休息所であるはずなのに。
「飛べなくなってしまうのかしら」
指輪島は一年を通じて、温暖で寝るときにも薄い毛布を羽織るだけで十分なほどだ。植物も、その種類を数え切れないほどだ。
むかしからこの島にいるナチュラルさんも、不意に出かけてしばらく帰ってこないシロも、この島のすべての木や草を知っているわけではないだろう。
年少組のヨウは自分と家族(彼女はこの島の暮らすすべてのものを家族と定義しているらしい)がたのしくすごせればほかのことはあまり興味を示さない。
この島に『あらわれた』のが一年前のヒビキは身体を動かすことがひどく億劫で館の中にある自室か、図書館といっていいほどの大きさのある書斎で本を読んで過ごしている。
「よっ」
「シロ……」
シロはその名の通り、なにもかも真っ白に塗りつぶしていく太陽のようで、ヒビキは少しだけ苦手だ。
「あの子は?」
シロは尋ねながらも、ヒビキの横たわったベッドをくるくると歩き回る。
「あの子って……なんのこと?」
ヒビキが嘆息しながらシロの方を向こうとすると、居ない。
神出鬼没はシロの最大の特徴だ。今更驚くようなことでもない。
「いないねぇ」
ヒビキの下から声がする。シロはヒビキの視界から外れているときにベッドの下に潜り込んだようだった。
「新しい子が、『あらわれた』よ。この部屋にいると思ったんだけど」
「そう」
「あら、驚かないね」
「この島に来てから一年しかたっていないから」
「本には、この島のことなんてぜったいに書いてない」
「本を読まないのになぜ断言できなるの?」
「この島について、本を書こうなんて考える人が居ないからだよ!」
ベッドの下からはい出してきたシロは、なぜか胸を張って言う。
「そんなことはないと思うけど……」
長姉に当たるナチュラルさんは、ああ見えてなかなか思慮深い。彼女なら、この島についての細々したことを手記にまとめていてもおかしくはない。
「ナチュラルさんはもしかしたら日記をつけているかも知れないけれど……ぜったいに見せてくれないよ」
「そうね」
シロは膝のあたりを手のひらで払った。そんなことをしなくても、館は隅々まで磨き上げられていて埃ひとつ落ちていない。
「ん、たまにはベッドからでて、館の中探検しに行こうよ」
「いやよ」
「新しい子にあいたくないの?」
「あとであうわ」
「ヒビキ最近ヨウにも会ってないでしょう」
「この間書斎に行ったら昼寝してた」
「叫ぶ岩を探しに行ってる間にそんなことがあったの」
「曇りがちな日はいつも書斎に昼寝しに来るそうよ……大辞典を枕代わりにしてた」
書斎の一角を占拠している大辞典は、ヒビキが抱えなければ持ち上げられないような巨大な布張りの古びたものだ。ヨウはわざわざそれを引っ張り出してきて机の上に置いて枕代わりにして寝ている。
(この古い本の匂いが安心するんだよ)
ヨウが満面の笑みを浮かべて言った言葉を思い出すと、ヒビキの頭の奥がきりきりと痛む。ようやく辞典の上にカバー代わりにタオルを敷くようにはなってくれたけれど。
もっとも、ヒビキにはその辞典に書かれている文字が読めない。遠い異国の古い文字なのだろう。右から読むのかそれとも左からか、それすらも判別しない。
「ヒビキといい、ヨウといい、本が本当に好きなんだね」
シロはヒビキと話し込もうと決めたのかベッドの端に腰掛けた。
勢いよく腰掛けたように見えたが、ベッドは少しもゆれなかった。
「あの子のは少し違うと思うけれど」
シロはまるで体重がないみたいだ。